人格を変えなくてもモテるようになる方法

ブコメ100字じゃ書ききれないとおもったので久々に。


○○というだけで嫌われるひとはいない - E.L.H. Electric Lover Hinagiku
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20081013/1223883397


前半ほぼ同意。んで、後半についてなんだけど、

ただいずれにせよ、ひとが嫌われるときは複合的な要因でそうなることがほとんどである。上に引用した匿名ダイアリーの書き手の人々も、それ、その記述から透けて見える人格そのものが嫌われてるんじゃね? というタイプが多い。

ちょっと違って、嫌われてるのはあくまで「その記述」。
その上で、投稿者が訴えたい内容ではなく、その言い回しや、細部の思想性が嫌われている。

なので、人間性をどうにかしろという話になるんだろう、結局。
ただ――最近確信したのだが、根本的な人間性は変えられないし変わらない。少なくとも、そういうふうに育った成人のそれを、専門家でもないわれわれごときが言葉でどうこうできると考えるのは傲慢だ。

だから別に“根本的な”人間性を変えなくてもいいんじゃないかな?


まず、はてな匿名ダイアリーの記述から、その人の人格すべてを把握することなんてできない。
次に、人格というのは内部に相反した複数の属性を抱え込んでいるものだ。
人格が多面的なものである以上、ある面を意識して表に出し、ある面を意識して引っ込めることで、“根本的な人間性”は変わらなくても、“他人から見える人間性”は変わる。つか、そんな大層な話でもなくて、ちょっとした言い回しのクセを直すだけで劇的に人間関係が改善されたりすることはある。それって別に人間性の問題ではないよね。


もうひとつ。エントリについたブコメやらトラックバックでいくら叩かれようと、その増田が実際に周囲で嫌われているとは限らない。本人の把握している「周囲から見た本人像」が正しくないことは多いし、また周囲、といってもそれぞれ違うように見ているはずだ。
これってよく「ネットとリアル」とか、「ヴァーチャルとリアル」とか表現されるけど、しみじみとアホらしい表現だと思う。学校、クラスでの立ち位置と、学外のサークルでの立ち位置が違う、といった事例は昔からある。現実というのは元々多面的なもので、インターネット、というのはその一部に過ぎない。
それに人格というのは多くの場合、確固として不変なものでなく、関わる相手によって引き出される面が変わる。だからまあ、所属するコミュニティを変えるだけであっさり解決することも少なくないよ、という話。


まとめ。
嫌われるのは人間性の問題だよ→人間性は変わらないよ
に対して、
他人が見る人間性ってそんなに固定されたものじゃないよ。細部や人間関係で変わりうるよ。
ということが言いたかった。あれ、これなら100字で書けるじゃん。まあいいか。


はてな匿名ダイアリーとかブコメで見る自称非モテについて思うのは、自意識が過剰すぎて、自己像を固定してるんじゃないかな、ということ。自分が好きすぎて、他人をちゃんと見てないよね、かな。あるいは視点が高すぎて、周囲を一緒くたにしてるけど、もっと視点を下げて他人を個々に見れば、みんなが同じようにキミを見てるわけじゃないよ、みたいな感じ。
この本はけっこうオススメ。モテない=キモチワルイ理由として、自意識の過剰さを挙げている。自意識、って言葉はあんまり使ってないけど、そういうことだと思った。「キミはキミが思ってるほど特別じゃないよ!」と繰り返し言うところが、好き。

すべてはモテるためである (ムックセレクト)

すべてはモテるためである (ムックセレクト)


それはそれとして、矛盾しているようだけれど、

古来から、哲学や文学はそういうひとたちの友だった。
現代ならばアニメもマンガもゲームもある。伴侶は多いさ。

これはまったくもって同意。

追記

タイトルが釣りだったので方法を書いておく。
・人格を変えなくても他人から自分がどう見えるかを意識することで改善できる
・人格を変えなくても相手を変えれば好かれる(かもしれない)
・人格を変えなくてもコミュニティを変えればモテる(かもしれない)
ですよ!